旅立つまでにコスモ(バーニーズマウンテンドッグ)と過ごした大切な時間

私たち家族にとって かけがえのない 存在だったコスモ(6才半)。一緒に過ごしたその時間はあまりにも短く 切なすぎた。同じ病気を抱えている飼い主さんや 犬好きな皆さんに読んでいただきたくて書きました。 賛否両論あると思いますが、あくまで これは私が選んだコスモとの最後の迎え方です。

罪のない言葉が 胸にグサッと刺さったときもあった。でも。。。

こんな時間を送る事を選択する事が出来たのは、

家族の理解と 友人たちのおかげだった。


私一人では、おもすぎる判断。


コスモが、少しでも苦しそうなそぶりを見せたら

すぐに病院へ行こうとも決めていた。

このことは、親しい友人とコスモの事をとても可愛がってくれていた

犬友には話していた。
みんな、とても心配してくれていた。

でも、ここまでの大病だという事を本当の意味でつたえた人は

本当にひとにぎりの人にだけだった。

”病院へ行った?” ”先生はどんな治療をするべきだって言ってた?”
”そんな事言って、大丈夫なんでしょ?”とか
”どこそこにある病院はこんなことしてくれるよ”
”動物病院の先生ってピンキリだよね”
”大学病院へ連れて行って検査とか治療はしないの?”

などなど 本当に心配をしてかけてくれる言葉。
いつもの精神状態の私なら普通に受け止める事が出来る言葉。

こんな言葉すべてが、私の心にナイフを突き立てるようだった。

なぜって、私は病院を選ばず コスモの寿命を受け入れて
身体にひとつも傷を付けたくなかったし、

彼を不安にさせるような事もしないと決めたから。
そう決めて、コスモとのゆっくりとした時間 大切な時間を過ごしていても
みんなの愛がこもった言葉でも、

そうだとわかっていても 人って受け取れないときがあるんだと言う事を知った。

でも、誤解しないで欲しいのは

言ってくれている友人たちへ 私はいつも感謝の気持ちで
いっぱいだったこと。

 

心配をしてくれているからこその言葉。
受け取る私がちょっと弱かった。

 
ただそれだけ

いろんなことが、私の頭の中をかけめぐり 現実逃避したくなることもたびたび。。。

でも、どんなときでもコスモは私との時間をとても楽しみにしてくれていた。
朝、起きて”おはよう”って挨拶にきてくれる時。
昼寝する時。
朝夕のお散歩。
ご飯を食べる時。
夜、眠りにつく時。
どんなときも、とても優しい目で私の事を見つめてくれていた。
嬉しそうに、笑ってくれていた。

わたしは、いつもコスモに支えられていたと思う。
コスモは、ちゃんと私に言葉ではないけれど気持ちを伝えてくれていた。
元気出して 明日もお散歩行こう!って

 

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